Kumagusuku

【reading club vol.2 熊楠とアート】第四章 デュシャンの「極薄」と足穂の「薄板界」と熊楠の「事不思議」

【 reading club vol.2 熊楠とアート】
– 第四章 デュシャンの「極薄」と足穂の「薄板界」と熊楠の「事不思議」-

ゲスト| 藤本由紀夫(アーティスト)
日時 | 2017年11月5日(日) 17:30~19:30
会場 | KYOTO ART HOSTEL kumagusuku
定員 | 25名
参加費 |1,500円(1ドリンク付)

ご予約 | mail@kumagusuku.info
※メールにお名前、人数、携帯電話番号をご記入ください。
※FBでの参加表明でもご予約を受け付けます(当日のキャンセルは必ずメールでご連絡をお願いします)。

– 第四章 デュシャンの「極薄」と足穂の「薄板界」と熊楠の「事不思議」- 

1867年生まれの熊楠が、サンフランシスコに到着した1887年にマルセル・デュシャンが生まれている。そしてロンドンでの生活を経て帰国した1900年に稲垣足穂が生まれている。熊楠・デュシャン・足穂・・・世代も違い、直接的な交流もなく、研究者、芸術家、小説家と分野も異なるこの三人には通底する概念があるように思われる。つまりデュシャンの「極薄」と足穂の「薄板界」そして熊楠の「事不思議」である。

「薄板界」
稲垣足穂のいくつかの作品に登場する「薄板界」は、この世界に無数に重なる「薄い世界」の存在について述べられている。
この「春の野辺に立つ糸遊のごとくにデリケートな」(童話の天文学者)薄い世界は地球上の至る所にありながら、普段気づくことはほとんどない。それは、「まっすぐに行く者には見えないが、横を向いたら見える。しかし、その角度は最も微妙なところにあるからめったにわからぬ」(タルホと虚空)代物で「道を歩いている時、飾り窓や音楽や、人や、自然物に気をひかれてひょいと首をまげさせられる」(童話の天文学者)その脇見の瞬間に見ることのできる世界だと足穂は言っている。

「極薄」
1980年、ポンピドゥ・センターよりマルセル・デュシャンの未刊のメモ集がデュシャンの義理の息子ポール・マティスの編集により刊行された。
「極薄」(inframince)とはデュシャンの造語で、単に物理的に薄いということではなく、人間の知覚閾を越えた薄さという抽象的な存在を指していると思われ「私達の科学的な定義づけを逃れてしまうような」(デュシャン)ものをわざと「薄い」という言葉で表している。色や匂いや温度、そして音といった、体験としてはリアリティを持ちながら、いざ形にあらわそうとするとフーッと消えてしまうものに対してデュシャンは「極薄」と命名してやることによって、その存在を浮かび上がらせてやろうと考えていたのではないだろうか。

デュシャンの「極薄」と足穂の「薄板界」
「極薄」で思考するデュシャンの膨大なメモと「薄板界」で思考する足穂の数々の作品の中には、恐ろしく酷似した記述がいくつか発見できる。

D;人が立ったばかりの座席のぬくもりは極薄である。
T;私は、まだこんなにゴムやワニスの香がプンプンしてるのに、これに乗っていた飛行家が、どこにもいないというのはなぜであろうか?などと思案したものだった。

D;二次元的眼は、三次元の透視図については、一種の触覚しかもたないであろう。
T;視覚というものも一種の触覚に他ならないからである。

D;真珠貝、モアレ、虹色光彩一般
T;街の燈火がトワイライトに交錯する時刻、薄羽蜉蝣の翅に似た衣服は、見る位置によって蛋白石みたいに変化するので、人々は何か光を包んだ小量の物質だという感じを与えます。

D;類似した二つのもの・・・二つの色、二つのレース、二つの帽子、なんらかの二つの形・・・を識別する可能性を失うこと。
T;寸分の違いもない、しかし実は少しずつズレている微細画のつながったフィルムも、やはりあいつの知恵から生まれた形跡がある。

(D・・・「極薄」岩佐哲男訳/ユリイカ 1983.10、青土社  「表象の美学」浜田明訳/牧神社)

これらの記述から推察すると、足穂もデュシャンも、光や匂い、温度、そして音といった、物質性を持たないが、非常に存在感を覚える「見えない見えるもの」を相手にしていたのではないだろうかと思える。

熊楠の「事不思議」

事は物と心とに異なり、止めば断ゆるものなり
(明治36年8月8日 土宜法竜 宛書簡)

ロンドン滞在中に書かれた土宜法竜宛の書簡で、事不思議について「物」と「心」が重なった部分に「事」が存在するという、集合の説明のような図を描いている。しかし、帰国後田辺の森で粘菌の採集の中で出された書簡では、「物」も「心」も動的なものとなり、宇宙線のように飛び交う「物」と「心」が交差した瞬間に「事」が生じるというダイナミックな展開へと変化している。

すなわち電気は形なきものなれども、その原則を知りてこれを用うれば、電信も電話も電灯もできる。これと同じく因果の原則を認証応用して、人間の心身に便利 、幸福 、安寧を与うべしというなり。
(明治27年3月19日 土宜法竜 宛書簡)

近時、形以下の学大いに発達して 蓄音機より、マルコニの無線電信、またX光線できる。それよりまたラジウムというて、自体に強熱を蓄え、またみずからX光線を発する原素を見出す。
金栗負け惜しみいうにはあらぬが、自分いろいろ植物発見などして知る。
発見というは、数理を応用して、またはtactにうまく行きあたりて、天地間にあるものを、あるながら、あると知るに外ならず。
蟻が室内を巡歴して砂糖に行きあたり、食えるものと知るに外ならず。
(明治36年7月18日 土宜法竜宛書簡)

ロンドン滞在時と和歌山滞在時でのこの考え方の違いは、どこから導き出されたのだろうか?デュシャンの「極薄」と足穂の「薄板界」を手掛かりに、熊楠の「事不思議」の世界に踏み込んで見る。

〈ゲストプロフィール〉
藤本 由紀夫(ふじもと ゆきお)
1950年名古屋生まれ。大阪芸術大学音楽学科卒。70年代よりエレクトロニクスを利用したパフォーマンス、インスタレーションを行う。80年代半ばよりサウンド・オブジェの制作を行う。音を形で表現した作品を個展やグループ展にて発表。その作品をつかったパフォーマンスを行うなど、空間を利用した独自のテクノロジーアートの世界を展開している。

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〈reading clubについて〉

「reading club」は、一冊の書物を読むように時間をかけて、物事を深く学ぶトークシリーズです。vol.2では南方熊楠研究者の唐澤太輔氏とアーティストの藤本由紀夫氏のトークを交互に開催し、「熊楠」と「アート」という二つの大きな書物を平行読書していきます。シリーズを通して、この二者がどのように交わり、そこから何が導き出されるかを探ります。

* reading club vol.1は2015年〜2016年にクマグスクで開催された展覧会「THE BOX OF MEMORY – Yukio Fujimoto」関連トークシリーズとして実施されました。 vol.1ファシリテーター:岡本源太、スピーカー: 唐澤太輔、細馬宏通、林寿美、篠原資明、平芳幸浩、藤本由紀夫(敬称略・開催順)

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