KYOTO ART HOSTEL Kumagusuku

カオス*ラウンジ新芸術祭 2017 市街劇「百五〇年の孤独」報告会

2018.07.28 / Cat :

『カオス*ラウンジ新芸術祭 2017 市街劇「百五〇年の孤独」報告会』

撮影:水津拓海(rhythmsift)

昨冬、福島県いわき市泉町で開催され、好評を博したカオス*ラウンジ新芸術祭 2017 市街劇 「百五〇年の孤独」。このたび KYOTO ART HOSTEL kumagusuku(クマグスク)の軒先を お借りして、同アートイベントの報告会を実施します。報告者は、市街劇「百五〇年の孤独」 でリサーチャーをつとめた仏教研究者の亀山隆彦です。

日時:2018 年 7 月 28 日 17 時 30 分-19 時 30 分

報告者:亀山隆彦(仏教研究者、カオスラウンジ新芸術祭リサーチャー)

ファシリテーター:矢津吉隆(美術家、kumagusuku 代表)

会場:KYOTO ART HOSTEL kumagusuku 1F
料金:500 円(ワンドリンク制)
定員:最大 40 名

ご予約方法:氏名、参加人数、電話番号を記入の上、クマグスクまでメールをお送りく ださい。

メールアドレス:mail@kumagusuku.info

<開催概要>

カオス*ラウンジ新芸術祭 2017 市街劇「百五〇年の孤独」は 2015 年と 2016 年の秋、同じく 福島県いわき市平および小名浜地区で開催された市街劇「怒りの日」「地獄の門」「小名浜 竜宮」の続編であり、それら一連の市街劇の集大成でもあります。

周知の通り「百五〇年の孤独」の表題は、コロンビアの作家ガブリエル・ガルシア=マルケ スの長編小説『百年の孤独』(One Hundred Years of Solitude)から採られました。「百五〇 年」は、平成 30 年(2018 年)がちょうど明治維新 150 周年にあたることに由来します。

ところで実際に「百五〇年の孤独」をご覧になっていないと、ここまでの導入的な記述に対 しても既にいくつか疑問が生じていることと思います。「市街劇」と銘打っているが、寺山 修司の試みと何か関係があるのか?あるいは関係あったとして、明治 150 周年はどのような 文脈でそこに結び付くのか?そもそも東京ではなく、福島県いわき市で開催する理由は? 等々。
第一に様々な事情で「百五〇年の孤独」をご覧になれなかった皆様の疑問にお答えするために、今回の報告会は企画されました。

カオス*ラウンジ代表で市街劇「百五〇年の孤独」のキュレーターをつとめられた黒瀬陽平 氏の解説にしたがうなら、同市街劇の主題とは「復興の失敗」です。そして、かつて泉藩で 起きた激しい「廃仏毀釈」が、その主題を十全に表現するために選ばれたアレゴリー(寓話) です。

「廃仏毀釈」についても簡単に説明しておくと、明治政府が打ち出した宗教政策である「神仏分離令」に端を発する仏教排斥運動です。明治初頭に起きたこの排斥運動の影響で数多の寺院が廃合され、無数の仏像・仏具・経巻が焼却の憂き目にあいました。その結果、我々日本人の宗教をめぐる環境も、前近代から大きく変化したといわれます。いわきの郷土史家である水澤松次氏の調査によれば泉藩、つまり今日のいわき市泉町は廃仏毀釈が特に激しかった地域の一つで、かつて六十を数えた地区の仏教寺院も一度すべて破壊され、二カ寺を除いて現在も「復興」されていません。

市街劇「百五〇年の孤独」は、この泉藩の排仏運動をアレゴリーに用いながら、今まさに日 本で進行中の「復興」の過去・現在・未来を見通そうとする試みだったといえます。今一度 黒瀬氏の言葉を借りれば、それは「震災後を生きる私たちにとって、復興や慰霊、鎮魂とは 何なのか」という問題、「現代における芸術や宗教の役割」の洞察を目指した展示でした。

そしてこういった市街劇の主題やアレゴリーが、同じくカオス*ラウンジのメンバーである 梅沢和木氏、藤城嘘氏をはじめとする才能豊かな美術家の手でいかなる作品に結実したか? それら作品が泉と福島にどのような影響を及ぼしたか?本発表会では様々な画像資料を利用 して、市街劇「百五〇年の孤独」を複眼的に紹介したいと考えています。(亀山隆彦)

三毛あんり「成代山越阿弥陀図」